尾田栄一郎「僕は冒険を描きたいんです。少年は母親から離れるから冒険ができる。冒険の対義語は母親ですから」と田中真弓に語る【ワンピース070】

2016年の話。
田中真弓(ルフィの声優)『ルフィのお母さんって、実はどういう人なのですか。描かないんですか?』
尾田栄一郎(作者)『僕は冒険を描きたいんです。少年は母親から離れるから冒険ができる。冒険の対義語は母親ですから』

回答になっておらず、既に母親を描いてしまっているからこその切り返しだと解釈した。
ルフィの母親が今後、出ることはないというのは誤解。

ルフィの声優・田中真弓氏が口頭で「ルフィのお母さんはどういう人?」と作者に尋ね、尾田氏は「僕は冒険を描きたいんです」という、ずれまくった回答を実施している。
その大元ソースは消えているが、2016年に話題になっていることから、2016年の出来事だと判断している。(間違いの場合には、メールをどうぞ)

一定の割合で「ルフィの母親は出ないのかな」と誤解しているが、当チャンネルでは「出ているからこそ、母の正体を語れない」と判断した。出ていないのならば、「まだ考えてない」でいいのだし。

一方、北米版コミックのSBSでは、ダダンに準じる母親像を語っていた。ただし、2008年の時点なので、育ての母親ダダンとして、構想は消化されたと考えられる。つまり、母親のイメージを育ての母として実現したので、もはや2008年時点の母親像は、真の母親とは関係が無いという思考だ。

尾田氏は田中氏に、ダダンに準じる母親像を語らなかった。即ち、もはや母の像はダダンではないというわけだ。

「僕は冒険を描きたいんです」だが、2016年ならばルフィの母親と疑われている人の多くが登場済みだ。(ルージュ、ボニー、シャクヤク、ダダン、ビッグマム、オルビア……)

当チャンネルでは、ルージュがルフィの母親だと確信している。ルージュが産んだのはルフィ1人だけで、エースとは人物が入れ替わっていると解釈する。入れ替えたのはガープで、エースの父母であるドラゴン(ギャバン:ロジャー海賊団船員)とボニーは、交換の事実を知っている。

作者は「僕は冒険を描きたい」と語るわけだが、冒険を描きたいことと母親を描きたくないことはイコールではない。もちろん、母を絶対に描かないという意味ではないし、もう描いている以上、ルージュを以後に描かなくても作者の言葉「冒険を描きたい」は成立する。むしろ、死んでいるルージュはルフィと接触することがないので、母親は既に死亡しているキャラだと言っているようなものだ。ルフィの冒険さえ邪魔をしなければいいので、死んでいるルージュが母親というのは最適となる。

ワンピースの正体として、あの世の人間と繋がるという説がある。冒険の終わりに母のルージュが出ても、問題あるまい。ロジャーが父親というのも、そこで判明するわけだ。

さて、このようなオチで、ルフィの母親を尋ねられた場合、作者が「ルージュです」なんて答えられるだろうか? 「作中に出ています」という発言さえ、避けられるだろう。

そもそも、「ルフィの母は?」に対し「冒険とは対義語」というのは、実におかしな回答だ。
と言うのは、仮に声優や読者にルフィの母親が誰なのか語ったとしても、作中でルフィの目の前に母を登場させない限り、ルフィの冒険は邪魔されず成立する。読者がルフィの母親を誰なのかを知っていたとしても、ルフィの冒険は母親によって邪魔されるわけがないのだ。

作者がルフィの母親について尋ねられて、かたくなにルージュだと答えない理由は、母親そのものよりも父親が判明してしまうことにある。ルフィの父はロジャーという、1巻・1話で決まり切ったことを隠し続けたいので、母親を判明させるわけにはゆかないのだ。

ナルトを知っている人にこの段落を語る。ナルトの目標は火影になることだ。
ルフィの母親が現時点でバレルという状況は、ナルトで言うと……。
火影の三代目が老人で、息子や孫息子もいる状態で、「父親は四代目・火影」とバレるようなもの。ナルトの母は誰? と聞かれて、「火影の妻」なんて作者が答えられるわけもない状況を想定して欲しい。

ナルトでは父親がずっと不明で、後半ではやっぱり火影が父親だと判明する。しかし、実は1巻の時点で四代目が岩の彫刻として存在しており、考察可能だった。というか、主人公の目標は父親が達成しているに決まっているではないか。トリコやハンター×ハンターも、そういうオチだ。

作中にはガープによる「お前の父の名はドラゴンじゃ」という台詞あっただけだ。その偽証を信じたルフィや海兵がいて、伝言ゲームのように一人歩きして伝わったという表現こそが正しい解釈だ。更に追求すると、ガープはルフィの父の話をしただけで、ガープの息子の話はしていない。部下の海兵が勝手に「ガープの実の息子がドラゴン」と解釈し、ガープに取っては最初から嘘の話なので訂正することもせず、「今のは、なし」とごまかす羽目になった。

ガープが「父の名はドラゴン」と発言したタイミングだが、ルフィが海賊として有名なってしまい、いずれロジャーの息子ということがばれると考え、部下の海兵に聞こえるように「父の名はドラゴン」と語ったのだ。

ガープの娘の息子がルフィという話をしたかっただけなのに、ドラゴンの方を実の子だと思われてしまったので慌てたわけだ。上司のセンゴクにはちゃんと、「ルフィはワシの娘の子供だし、ドラゴンはワシの娘の夫」という説明で、「世界最悪の犯罪者の実父」という立場を免れたろう。

なお、ドラゴン(ギャバン)はガープの娘ボニーを妻とした婿養子だと考察でき、ドラゴン(ギャバン)はガープの義理の息子ではある。

当チャンネルに慣れていない人は、ルフィの父をドラゴンだと思ったままでもいい。仮にガープの息子がスコッパー・ギャバンだとすると、ロジャー海賊団にいたことなる。ガープがロジャー海賊団と何度も死闘を繰り広げたことを考えると、ギャバンがガープの実の息子のわけがない。やはりドラゴンは婿養子で、義理の息子がギャバンとなり、ガープの娘が孫息子の母となるわけだ。

ギャバンの息子が誰であれ、ギャバンとガープとは直接的な血縁ではなく、義理の関係ということを強く念頭に置いてもらいたい。

エースが死んだ回は59巻・574話で、タイトルは「ポートガス・D・エース死す」。
にもかかわらず、話の最後にはルージュが回想シーンで登場して、「この子の名はゴール・D・エース」と語られる。要するに、ポートガス・D・エースとゴール・D・エースは別人で、死んだのはあくまでポートガス・D・エースと名乗った青年だ。ゴール・D・エースはルフィとして生きているというわけだ。ルージュが産んだ赤ちゃんにはソバカスなんて無い。(アニメ460話)
ガープがエースをダダンへ預けるシーンでは、ソバカスばっちり。

ビブルカードも燃え尽きたので死亡の表現だ。
エースが死んでいる話は、個別にムービーで語る予定なので、当チャンネルを宜しくお願いしたい。

2016年以降にはネットには興味深い発言をする人がいて、「ルフィの母親について、作者は明確に語っていないが、ファンの間では分かっている」だそうだ。要するに、母親はルージュで確定なのだけど、特にファンでない人とか、知りたくない人は、追求不要というわけだ。
当チャンネルは、もちろん追求したい人が見ているはずなので、問題ないはずだ。当チャンネルでこれだけ証拠を揃えて、更に証拠を求める人は作者が「ルージュです」と語るまでは信じないだろう。

ネットで調べても、ルフィの母についてはデマが目立っており、考察に対する不審さえ感じているのかも。
最初に当チャンネルの母親説が出たならばともかく、一旦、ボニーとかシャッキーだと信じたり、「出ていない(これからも出ない)」と信じてしまうと、正論を語っても動かない人がいるのだ。

話をまとめると、作者の発言は、決してルフィの母親が出ないという話ではない。ロジャーの息子だとバラすとしても冒険の終わりなのだ。母親を明かすことはロジャーの息子だと即バレになるので、「父の名はドラゴン」で作者は予め読者に対抗していたという話だ。

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